玉出のだいがくを守る上の天神 – 海から来たえびすさまの生根神社【大阪市・西成区】
生根神社(上の天神)【大阪市・西成区】
大阪市西成区にある生根神社は、地元の方々に「上の天神さん」と親しまれる、やさしさと歴史が同居する神社です。
海から流れ着いたえびすさまの言い伝えや、黒田藩ゆかりの菅原道真公の信仰が残る境内では、商売繁盛や学業成就などのご利益を願って訪れる人も多く、どこかほっとする空気が漂っています。
国道26号線からほんの少し入っただけなのに、落ち着いた時間が流れるこの神社で、ゆっくりと心を整えるひとときを過ごしてみませんか?
西成区のなかでも、ふっと心が軽くなるような場所が、ここにはあります。
玉出のまちに静かに佇む、上の天神さん
大阪・西成区の玉出エリアに、地元の人たちから「上の天神さん」と親しまれている神社があります。
それが生根神社(いくねじんじゃ)。国道26号線から少し西に入ったところに、落ち着いた雰囲気でどっしりと鎮座しています。
のんびりお散歩しながら、歴史にふれて、心までやわらかくなる…そんなひとときを過ごせる場所です。
海から届いた神さまとともに
この地は、もともと住吉大社の神領だった場所。
大昔、茅海(ちぬのうみ:今の大阪湾)に大津波が起こり、西宮の恵美寿神社の御神体が社殿とともに流されて、この地・勝間(こつま)の浦にたどり着いたといわれます。
村人たちは漁船で御神体をお迎えしてお祀りしましたが、のちに西宮の氏子から返してほしいと頼まれ、御神体をお返ししたそう。
そのかわりに御分霊をお祀りしたのが、神社の始まりと伝わります。
こうして古くから有喜恵美寿社(うきえびすしゃ)として蛭児命(ひるこのみこと)がお祀りされていたこの地に、のちに住吉の生根神社から少彦名命の御分霊を受け、勝間村の産土神としてお祀りするようになりました。
黒田藩から受け継がれた、天満宮の御神徳
さらに明治初期には、黒田藩の屋敷に祀られていた筑紫天満宮(菅原道真公)をこの地にお迎えし、
「上の天神さん」としての信仰も深まります。
昭和20年(1945年)3月の戦災で社殿は焼けてしまいましたが、御神体はいち早く住吉の生根神社に移されて無事でした。
その後、氏子・崇敬者の奉賛により、昭和41年(1966年)に鉄筋コンクリート造りの社殿が再建され、今も玉出のまちを見守り続けています。
境内には、黒田藩の大阪蔵屋敷の筑紫天満宮にあった天神牛も。明治の廃藩置県で屋敷が取り壊されるとき、御神殿とともにこちらへ迎えられたもので、撫で牛・願掛け牛として、今も多くの人の信仰を集めています。
今も大切に受け継がれる、昔ながらの神事
境内には、戦災のころに樹齢600年と推定されていた御神木の楠木の根の一部が保存され、「大楠社」としてお祀りされています。戦災で枯れてしまった大木の故事を、今に伝えるお社です。
また、生根神社には、昔は雨乞いの神事に使われたといわれる「だいがく」が残されています。
明治のころ、玉出には6基ありましたが、戦災で焼けて今は1基だけ。
毎年7月24日・25日の夏祭りの両日に公開され、「だいがく音頭」に合わせて祈願太鼓が勇ましく打ち鳴らされます。
高さ約20メートルにもなるこの「玉出のだいがく」は、昭和47年(1972年)に、大阪府指定の有形民俗文化財(民俗資料)の第1号になりました。
無病息災を願う、冬の「こつま南瓜祭り」
もうひとつの見どころは、毎年冬至の日に行われる「こつま南瓜祭り」。
この辺りで江戸時代から育てられてきた「こつま南瓜」にちなんだ神事で、
中風除けや無病息災を祈って、多くの参拝者でにぎわいます。
やさしくあたたかい、暮らしに寄り添う神社らしい行事です。
境内には、こつま南瓜をお祀りする「こつま南瓜塚」や、撫でて願いをかける「勝間(こつま)南瓜石」も。
こつま南瓜は、食物の神・豊受大御神から陽の気の精を授かったものとされ、南瓜石を撫でて、中風除けや莫気(ぼけ)祓い、生気・才気・商気の起活を祈ります。
大正時代の古書に残る生根神社【大正の記録】
大正15年(1926年)の『大正大阪風土記』では、所在地は玉出町、道案内は南海本線の玉出駅から西へ400メートルと書かれています。
ちなみに玉出駅は、のちに岸ノ里駅とひとつになり、今の岸里玉出駅になりました。
当時の社格は村社で、氏地は玉出町一円。ご祭神は少彦名命・蛭子命・菅原大神と記されています。
同書には、地名の話も載っています。このあたりは昔は海辺で、「古津女浦」や「古妻浦」と呼ばれ、のちに「勝間浦」になったとのこと。
鎌倉時代の仁治年間(1240〜1243年)に、里長がこの地を開いて神領とし、移り住んだことから「勝間」と名づけたという説もあるのだとか。
「玉出の里」とも呼ばれていて、当時の「玉出町」という町名はこれにちなんだものだろう、と結ばれています。
撫でられて色が明るくなった勝間南瓜石【参拝メモ】
2026年10月に参拝しました。国道26号線から少しだけ西に入ったところにある神社です。国道が近いのに、落ち着いた雰囲気があります。
大きな潤朱色(華やかさを抑えた朱色)の鳥居をくぐって境内へ。どっしりと鎮座する拝殿も、潤朱色が重厚感を増しています。
拝殿でお参りを済ませ、連なって建つ社務所のチャイムを押すと、ほどなくして男性の方が出てこられたので、御朱印をお願いしました。
何種類かあるようでしたが、オーソドックスな御朱印を選びました。
御朱印の真ん中には「天神瑞降」の文字。
「天神、神様が、瑞、吉兆を、降らせてくださる、と書かせていただきました。」と教えてくださり、さらに高さ20メートルある「だいがく」についても、ご丁寧に説明してくださいました。
あとで調べると、いただいた説明書きに、「天神瑞降」はだいがくに天の神さまが宿り、鈴の音とともに参拝する人に良いことを授けてくださる様子を表している、と書かれていました。
そのだいがくは、普段は拝見できないみたいですが、夏祭りのときには拝見できるようです。
一度は拝見してみたいものですね。
御朱印をいただいて、境内を拝見。
拝殿の向かい側に、お社などが並んで鎮座されています。
まずは、撫で石・願掛けの「勝間(こつま)南瓜石」。
撫でられたであろう名前の文字のあたりと、かぼちゃの絵柄のあたりは、色が明るくなっています。
ほかにも石碑とともに、「かえる石」、撫で牛・願掛け牛の「天神牛」、「有喜戎分社」が並んでいます。
あとで調べると、かえる石は昭和14年(1939年)に玉出の商売人の会「玉商会」が奉納したもので、「お金がかえる」と商売人の願いに応える石として親しまれています。
また、生根神社は江戸時代の終わりまで有喜恵美寿社として蛭児命をお祀りしていて、昔は十日えびすの祭りも盛大に行われていたと伝わります。
拝殿の奥隣には「高倉大神」と書かれた鳥居があり、その内側に、御神木で保存樹のくすのきが。
その前には、「大楠龍王」「三輪明神」「金森大神」が祀られたお社と、隣に「黒龍王」と書かれた岩があります。
あとで調べると、このお社は大楠社で、戦後まもなく生根神社に移されたと伝わります。
岩は、公式サイトの境内図では「龍王石」にあたるようで、三輪大神の御霊がこもる、龍がとぐろを巻いたような形の石と紹介されています。
さらに右奥手には、「天照皇大神」「豊受姫大神」「八幡大神」「大物主大神」「住吉大神」「崇徳天皇」と書かれた提灯がかかる、
「由加神社」「船玉社」と書かれたお社と、お狐さまが見守る「高倉大明神」「菊姫大明神」と書かれたお社がありました。
あとで調べると、由加神社は岡山県の由加神社本宮の末社といわれるお社です。
戦前はそれぞれの神さまのお社がありましたが、戦災で焼けたため、今のお社にまとめてお祀りされました。
お狐さまのお社は、公式サイトの境内図では稲荷社にあたるようです。
鳥居の横手には、浜村淳さんの俳句が彫られた石碑があり、「大阪っぽいなぁ」とほっこりしました。
あとで調べると、浜村淳さんは生根神社を篤く崇敬されていて、この石碑は、生根神社との出会いから35年目の平成22年(2010年)に詠まれた俳句を、その記念に刻んだものでした。
見どころの多い神社でしたが、一番の見どころを見逃してしまったので、いつか見てみたいと思いました。
ちょっと一息、歴史と信仰が息づく玉出の神社へ
国道の車通りや商店街のにぎわいのすぐそばにありながら、どこか懐かしさを感じる「上の天神さん」。
忙しい日々の合間に、ふと立ち寄ると、心がふっと軽くなるような時間が流れています。
四季折々の空気を感じながら、お参りしてみてはいかがでしょうか。
- 少彦名命
- 蛭児命
- 菅原道真公
- 家内安全
- 商売繁盛
- 学業成就
生根神社(上の天神)
南海本線「岸里玉出」玉出方面出口下車3分
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