堀川神社(堀川戎神社)【大阪市・北区】

大阪市北区、梅田からもほど近い場所にある堀川神社(堀川戎神社)は、1400年を超える長い歴史を持つ“福の神さま”が見守る癒しのスポットです。
夢に現れた神さまとの出会いからはじまった物語や、地域の人々と歩んできた歴史の深さには、どこか心を惹かれるものがあります。

毎年1月9日から11日までの3日間にぎわう十日戎や、にこやかに福を分けてくれるえべっさんの存在に、あたたかな気持ちになる方も多いはず。
商売繁盛や除災招福、福徳円満など、福にまつわるご利益に出会えるのも魅力のひとつです。

お仕事帰りに、週末のおさんぽの途中に。
日常の中で「ちょっと福に会いたいな」と感じたとき、そっと足を運びたくなるような神社です。

お散歩ついでに「福」を見つけに。堀川戎さんへ

梅田からも徒歩圏内。にぎやかな都会のすぐそばに、福の神さまが静かにたたずむ場所があります。それが「堀川神社」、通称「堀川戎(えびす)神社」。

1月9日の宵えびす、10日の十日戎、11日の残り福と、3日間続くえべっさんのにぎわいで有名ですが、実はここ、1400年を超える歴史がある由緒正しい神社。
今回は、そんな堀川戎を“気軽にふらっと立ち寄りたくなる”神社としてご紹介します。

夢に現れた神さまから始まった、福の物語

堀川神社のはじまりは、欽明天皇の時代。ある日、止美連吉雄(とみのむらじよしお)という人の夢に、蛭兒大神(ひるこのおおかみ・恵比寿さま)が現れました。

そのお告げを受けて、堀江(当時の淀川の川口あたり)で不思議な玉を得て、その玉を御神体として蛭兒大神を利島にお祀りしたのが、始まりと伝わります。当時は「瓊見社」や「止美社」と名づけられていました。まるで神話のような、どこか神秘的なエピソードです。

「恵比寿さん」だけじゃない、多彩なご神徳

孝徳天皇の時代、白雉2年(651年)には、皇后の病気平癒を祈って彫られた淡島明神(少彦名命:すくなひこなのみこと)の神像が納められました。さらに文武天皇の時代、大宝3年(703年)には、神託によって天太玉命(あめのふとだまのみこと)が相殿にお祀りされています。

御神徳は、商売繁盛・除災招福・福徳円満。もとは海や川の幸を生み出す力をたたえる信仰から広がり、商売繁昌や産業発展の守り神として、大阪の人たちにあつく信仰されてきました。

まさに“人生の心強い味方”のような神社です。

戦乱や火災にも負けず、まちの人々と歩んできた神社

堀川神社は、時代の荒波に何度ものまれながらも、そのたびに地域の人たちの力で立ち上がってきました。

平治のころ(1159〜1160年)には、戦乱を避けて丹波国の山家に移されましたが、文和年間(1352〜1356年)に藤原吉次がふたたび浪華へ遷し、今の場所に再興しました。

明治40年(1907年)にはいくつかの神社を合わせて「堀川神社」となり、昭和20年(1945年)の戦災で建物をすべて失ったあとも順に復興して、昭和38年(1963年)に本殿が再建されました。それからも、堀川の地で信仰を集め続けています。

十日戎には、笑顔と「福」でいっぱいに

なかでも1月10日の十日戎の当日には、毎年数十万人が参拝。境内は足の踏み場もないほどの人でにぎわい、参道には数百もの露店がずらりと並びます。

「えべっさん、福をお願いしますぅ!」と手を合わせる人々の姿に、見ているこちらまで心があたたかくなりますよ。

気になる“もうひとつの神社”、榎木神社って?

境内には「榎木神社(地車稲荷神社・だんじり吉兵衛)」という、ちょっとユニークな神社も祀られています。

もとは、堀川神社の北およそ50メートル、天満堀川の堀留のそばにあった榎の大木に、神霊が宿ると信じられてお祀りされたのがはじまり。天保10年(1839年)に、天満堀川の両岸の町の人たちの協力で本殿・拝殿が造られ、明治40年(1907年)に堀川神社の境内へ移されました。

願いごとがかなうと、その夜に「地車ばやし」が聞こえるといわれ、「地車吉兵衛」の名は江戸時代から関西一円に知られています。願いがかなったお礼には、小さな地車の模型や絵馬が奉納されます。子どもの「かんの虫」に、社殿の裏へ黒豆をお供えして祈る風習も残っています。

今の社殿は、昭和33年(1958年)に再建された、地車の形をした珍しい建物。色あざやかで、思わず見入ってしまいます。

震災の鳥居から生まれた福興戎像

平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災で、表門の石の鳥居(昭和2年(1927年)奉納)が折れてしまいました。その柱に戎さまを彫り、平成10年(1998年)の十日戎に奉納されたのが「福興戎像(ふくこう・ふくおこしえびす)」です。

「福」と、「生ずる・起きる・盛んになる」という意味の「興」を合わせた名前。被災した鳥居からよみがえった由来から、災いを除き福を招く戎さまとして、撫でてご利益をいただこうとする人がたくさん訪れます。

境内には、江戸時代の弘化年間(1844〜1848年)に出された一枚刷りの案内地図「浪華名所独案内」の複製も掲げられています。当時の堀川戎は「戎社」として赤丸で記され、赤い線でたどる一日のお参りコースにも組み込まれていました。

商売繁盛の神さまは、私たちの日常にも寄り添って

堀川神社の神さまは、商人だけの味方じゃありません。「頑張っている人にこそ、福を届けたい」そんな想いが、きっと今も息づいているように感じられます。

お仕事帰り、週末のお出かけのついでに。「なんだか今日は運気を上げたいな」そんな日に、ふと足を運んでみてはいかがでしょう。

大正時代の古書に残る堀川神社【大正の記録】

大正15年(1926年)の『大正大阪風土記』では、所在地は西堀川町。道案内は、今はない市電の寺町停留場から西、寺町橋の西詰と書かれています。

同書では、玉をお祀りした最初の場所は「難波の富島」で、当時は「富島の恵美須」と呼ばれたと紹介されています。由緒では「利島」と書かれている場所です。

決まった氏地はないものの崇敬者が多く、初戎には寶市(宝市)が立って、十万人以上がお参りしたと記されています。

中まで入れる、地車の形の榎木神社【参拝メモ】

2026年10月に参拝しました。大阪では「キタのえべっさん」として知られる神社です。
えべっさんのお祭りのときのにぎわいとは違い、ふだんはビジネス街にたたずむ静かな神社。
住んでいる場所が近いので年に数回は訪れますが、いつも数人の方がお参りに来られている印象です。

朱色の鳥居をくぐって境内へ。
鳥居から拝殿までは、10秒ほど。えべっさんのときは、30分以上かかることもあります。
ドシッと鎮座する拝殿でお参りしました。

御朱印は以前にもいただいていたので、今回はじっくりと境内をお参り。
拝殿の隣では、「福興戎像」が笑顔で見守ってくださっています。
えべっさんの時期には、境内のど真ん中に立たれていた気もしますが、ふだんはこちらが定位置なのかもしれません。

社殿は拝殿の右側と左側にもつながっていて、ちょうど「コ」の字の形。
拝殿の右側には社務所があり、御朱印はこちらでいただけます。
左側には、「松尾・工匠神社」「大国主・菅原社」「皇大神・幸神社」とひとつの提灯に書かれ、「淡島神社」の提灯といっしょに吊るされたお社があります。
格子窓から中をのぞくと、「天照皇大神」「猿田彦大神」「大國主大神」「菅原大神」「松尾大神」「工匠祖大神」などのお名前が見えました。
菅原大神は、天神さんとして親しまれる菅原道真公のことです。

朱色の鳥居ともうひとつの鳥居のあいだには、「地車稲荷神社」の提灯がかかった「榎木神社」があります。
この榎木神社は中に入れるようになっていて、地車のようなお社のまわりには、いろいろな資料が展示されていました。
ちょうど後ろ側には、小さなお社が2つあります。

あとで調べると、榎木神社には、木の神・句句廼知神(くくのちのかみ)と、お稲荷さんの宇賀御魂神がお祀りされています。
後ろ側の2つのお社がどなたをお祀りしているのかは、わかりませんでした。

朱色ではない鳥居の前には、大きな御神木も立っていて、お参りに来る方を見守っておられるようです。
ほかにも、「令和御大礼記念」と彫られた石碑と、水が出る蛇口が一緒になった新しい形の手水舎もあります。

えべっさんのお祭りでにぎわう時期も好きですが、ふだんのちょっとホッとできる雰囲気も好きなので、これからもちょくちょく伺うと思います。
天神橋筋商店街の3丁目あたりから近いので、商店街に来られた際は、ぜひ立ち寄ってみてください。

おわりに:日常にそっと“福”をくれる場所

華やかなだけじゃない、地元の人たちにずっと大切にされてきた堀川戎神社。

商売繁盛、健康祈願、心願成就…どんな願いごとも、きっとあたたかく包み込んでくれるはずです。

次のお散歩は、福を探しに「えべっさん」へ行ってみませんか?

主祭神 [神社の中心的な神様]
  • 蛭兒大神
  • 少彦名命
  • 天太玉命
御神徳 [神様から授かる恵みやご利益]
  • 商売繁盛
  • 除災招福
  • 福徳圓満

 

開運

堀川神社(堀川戎神社)

住所:大阪府大阪市北区西天満5-4-17
アクセス:南森町駅 徒歩3分
開門時間:6:00(日の出)~20:00
電話番号:06-6311-8626
公式HP:堀川戎神社


Googleマップで開く

 
 

神社巡りをされる方へ|御朱印帳の選び方ガイドはこちら